私と電波

変わったものと変わらないもの

名古屋大学 教授 片山正昭

 京都の夏の青空に輝く銀色のアンテナ.そこから見えない何かが音も無く飛び出し,思想や宗教の異なる国の境も軽々と越えていく.理屈を越えた不思議さ,わくわくする気持ち.30年程前,高校生の頃,アマチュア無線のアンテナを見上げていたときのこの気持ちが私にとっての,電波の原風景である.

 電波を趣味とし人文科学分野を職業としようか,それともその逆か,悩んではみたが,結局,入学したのは大阪大学工学部通信工学科,研究室も無線システム講座.電波と切り離せない道を歩むこととなった.学部,大学院と計9年間,通信工学とその周辺分野における研鑽を積んだ...のなら良かったのだが,本籍工学部,現住所アマチュア無線部という状態.毎月のように行われるコンテスト(一定時間内に交信できた局数・地域数を競う)と,そのための巨大なアンテナの準備・撤収,これらの合間に講義・追試という学生生活であった.挙句の果てに,大学院博士課程の忙しいはずの時期に,大型無線機・アンテナ・工具を持って海外遠征も.電波受験界という雑誌の存在を知ったのもこの頃である.本人は楽しく,しかし師匠の先生から見ればさぞや迷惑な学生生活であったが,どうにか破門されることも無く,衛星通信分野の研究で工学博士の学位を頂くことができた.

 大学院卒業以後,豊橋技術科学大学,大阪大学を経て名古屋大学に着任,20年にわたり,無線通信システムについて教育・研究を行ってきた.この間に,無線通信の世界は大きく変化した.特別なものであった無線システムは,携帯電話や無線LANといった形で日常生活の必需品となっている.さらに,多数の超小型センサーを無線で結合する技術,産業機器などの装置の無線制御,自動車の自動運転や安全を支える高度道路情報システム,持続可能な社会を支えるエネルギーシステムの制御と,無線の適用範囲はますます広がりつつある.

 このように拡大・多様化する通信需要に応えるために,我々の研究室を始め世界中で,多くの研究が行われている.たとえば,電波資源の有効利用という観点からは,電波の周波数・波形だけでなく電波伝搬状況までを高度に利用する空間分割・時空間符号化,あるいは小型端末群が連係して情報を伝送するシステムなどに研究の前線が広がっている.また一つの無線システム内の装置間だけでなく,複数の異なるシステムが共存し総合的に電波資源を利用する新しい技術も研究されている.

 有線通信システムが安定な通信ケーブルを利用するのに対し,雑音や干渉を伴い信号強度も変動する電波回線を用いる無線通信システムでは,通信品質を保つことが困難である.さらに,想定する電波環境も多種多様である.宇宙規模の長距離伝送もあれば手の届く範囲の機器の接続を行うパーソナルエリアネットワークもある.固定無線局もあれば,新幹線,果てはロケットにいたる高速移動体との通信も考える必要がある.このように多様で困難な電波環境に適応するために続けられてきた研究開発の成果は,無線以外の分野にも応用分野を広げている.有線通信システムは云うに及ばず,ハードディスクなどの磁気記憶,IC内の高速デジタル伝送,信号機や照明などの可視光を用いた情報通信システムなど幅広い分野に無線通信システムのために開発された技術が適用可能である.

 ますます広がる無線通信システムの応用と,それを支える基礎的な学術研究の進歩の中,仕事に追われ,好きでこの道に入ったことさえ忘れがちである.そこで,自宅に久しぶりにアンテナを上げてみた.名古屋の空に銀色に輝くアンテナを見上げると,あの日と同じ,わくわくした気持ちがこみあげてきた,やっぱり電波は不思議で魅力的だと.

( 電波受験界(2006年11月 通巻第625号)掲載 財団法人 電気通信振興会の許諾を得て掲載.)